第8回アジャイルサムライ読書会 @札幌道場 開催

第8回アジャイルサムライ読書会 札幌道場を開催しました。
参加者は6名。
今日は、1人で本を読んだ時には割とすっきりしていた所だったのだけど、いざディスカッションをしてみるとなんだかすごくモヤモヤとした、よくわからない疑問がわいてきた。
ディスカッションの力ってすごいな。「わかった気」にはさせてくれない。

今回の範囲で「グっときた」ところ

アジャイルプロジェクトへの参加を決めるという覚悟

文書とは会話できない

読書会として

今日で第二部が終わり、第三部に入りました。

  • 5.5 何がどれだけ必要なのか
  • 6.1 文書化の難しさ
  • 6.2 そこでユーザーストーリーですよ

「アジャイルプロジェクトへの参加を決めるという覚悟」について考えさせられた。
良い物を作るためにお客さんにも覚悟を決めてもらう、
そのためには自分がAチームの一員となるスキルを身につけなければ行けない。
少なくとも、Aチームのメンバーとして最高のパフォーマンスを出さねばならぬという覚悟が必要。
それって、開発する側としても、普段以上のパワーや気持ちや体力が必要だよな。普段の努力も怠れない。
お客さんに参加してもらって巻き込むからにはこっちも全力だよ、ってなるもん。
それでもアジャイル的な開発をしてみたいと思うか?という問いに「YES」と答えられるか。
そう考えた時に、
「環境も自分自身も足りないものがたくさんだけどやっぱりお客さんと一緒にいい物をつくってみたい。」
この原点に戻るんだよな、自分は。

「文書化の弊害」は反省することしきり。
103ページの上にある、文書を見ながら”連休だったことを考慮した方がいいのかな”と勝手に考え始めているのは、私か、いつかの私なのか。
長いこと102ページのような「だって書いてあるじゃない、最初に書いたじゃない」が”正(証拠)”となる文化にいたのもあって、文書を信じ込んでお客さんとの対話をおろそかにする部分が残っている。
勝手に文書の裏の裏をよんで「ほら、裏を読んでいたから大丈夫」とするのではなくて、「これって裏を返すとこういうこと?考え過ぎ?」という気持ちをお互いに確認すること、大事。
口に出すことを億劫がってはコミュニケーションはとれないですね、チーム間でもお客さんとでも。
こんなことではいけないなあ、と我が身を振り返った時間でした。

ディスカッションの内容はGitHubのwikiにまとめてあります。

運営の立場で

ディスカッション、白熱しました。しかし、今日はモヤモヤした部分がたくさん。
今日の会話で少し出てきた
「達人プログラマ読書会は”よし、これは実践してみよう!”と思えることが多いけど、
この読書会は”あんな現実や、こんな現実や、どうすりゃいんだ・・・” と現実の壁にぶつかってくじけそうになることが多い」
という意見は、今やっている読書会をよく表しているなと思いました。

この本を読んで、現実と比べて、モヤモヤする。
だって、1人ではどうにもできない無理なことがたくさん書かれている。
無理なことのうちできることはないか、モヤモヤを解消するためにできることは何か、
ディスカッションをしてヒントを手に入れる。
それぞれが持ち帰ったり感じたりして、現実世界に生かす。
この読書会はそういう読書会(アジャイルサムライがそういう本)だな、とここ数回でとても感じています。

毎回何かで打ちのめされて、何かをつかんで這い上がろうとするようなイメージ。
(決してMとかそういうのではありません。)

運営としては「無理じゃん」という下向きの気持ちのまま終わらないように、その先の話ができるよう意識していたいと思っています。運営として意識しなくても勝手にそうなっているけれど。

最後に。毎回会場を提供していただいた弊社に感謝。
ありがとうございます。
次回もよろしくお願いします。

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